大人が読むとなかなか衝撃的で、私も子供達が読んでいるのを横から数ページ覗いたりもしましたが、なんだかもう色々なことを想像してしまって、痛々しくて悲しくて辛くて、とてもページがめくれず、未だちゃんと読めずにいます。(T_T) 自分も小学生の頃、読んだんですけどね…。
でも、そんな中ですら、あの本の中の子供たちは、大人たちは、「生きよう!」としていて、
そういうところを読書する子供たちは見つめているんじゃないかなと思います。
すごく、たくましいですよ。米兵に、原爆で死んだ人間の頭蓋骨を綺麗に磨いて売る
なんて話も出てきます。「お〜、べりーぐー」とか言って買っていくんですねぇ。
それを売って、金を貯めて、病気を治すんだ!、それがアメリカへの復讐だって、子供たち。
それこそ、良いとか悪いとかじゃなく、生きるっていうのはそういうことだって、
凄く大事なこと、教えてくれていて、そこに感じるんじゃないかなと。
大人が決めた価値観なんて、時代の一息で吹っ飛ぶもの。
強く、たくましく、ズルも悪もコスいも有りで、でも情たっぷりで驕らない。
そういう者に育っていって欲しいです。この国の子供。
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「悪い面が微塵も無い人」なんていうのは、逆に、不気味なものでしょう。きっと。
「悪い面」を自分が持っていることに、耐えたり、あきらめたりしなくちゃ、いけませんねきっと。
でもね、「チョイ悪」ってあるじゃないですか。要は、加減なんだと思うんですよ。
全く悪がないっていうのは、人間味という魅力から言えば、魅力ないんだと思います。(笑)
「チョイ悪」よろしく、「チョイ駄目」とかね。(^_^;)
そこがチャームポイントなのでありまする。売り込むトコ。
悪も駄目も、あっていいのです。たぶん。(^_^)
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「悪い行いを、決してすまい」という方向へ、実は進んでいってしまうと思うんです。
そうすると、「悪い」のことが、だんだん、酷く許せなくなったり、恐怖にすら思うようになる。
「自分は、良いでありたい。悪いではありたくない」
しかし、そういう「良い」か「悪い」かの二極化した考えでいると、
「自分」を「良い」に置いておきたいわけですから、何か不都合が起こりますと、
だんだんと「自分以外」に「悪い」を、無意識においてきてしまうわけです。
ぜんぜん、自分でも気がつかないうちに、
「自分」が「良い」を取り、「自分以外」に「悪い」をやってしまう。
もし、「悪い」を押し付けられてしまったら、人はどう思うでしょう。
きっと、自衛のためにその人から距離を置くでしょう。
つまりね、「良い人」っていうのは、(聖人) 孤独なんですね。一人ぼっちの孤独。
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でも、「それはいけない(ダメな)ことだ」、と思って、頑張って、止めておく。
…私はこれは、「よろしいことのようで、本当はよろしくないことだ…」と、実は思っています。
なぜか。
それは、自分の素直な気持ちに反して、我慢して止めているから、
心のどこかで、サボっている人を見ると、実は本当はうらやましくて仕方が無い。
うらやましくて仕方が無いと、かわいそうな自分を浮かばせるために、
サボっている人を見ると、物凄く、その人に対して、悪態をついてしまうようになる。
「サボりやがって。アイツは悪だ、ズルだ、最低だ、最悪だ、なんだあんな奴。」云々…。
そんな凄い、酷く汚い罵声を飛ばすぐらいなら、サボったほうが、実は絶対悪くないよ。
…それは嫉妬。
嫉妬の炎に身を焦がすと、己が焼けてしまう。
「サボらない」と決めるときは、本当に「好きでサボるを選んで無いんだ」ぐらい
「好き」の気持ち、で持っていかないと、難しいんだ。
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幸せは自分で、少しずつ作り上げるもの。
きらきらした成功を夢見ず、こつこつと堅実に歩いていこう”
これは「幸せの作法」という書籍の紹介文の中にあった言葉なんですけどね。
私が読んだわけではありませんが、なんとなくこの言葉には、思うこと、あります。
「こつこつと」は、貯金のようなものを思い浮かべます。
貯金は、「自分が貯めた事柄」が、やがて自分のところへ利子がついて帰ってくること、です。
自分が貯めた事柄しか、貯まりません。
もしそれが不平不満なら、不平不満が利子ついて帰ってき、
悲しみや憤りなら、悲しみや憤りが利子ついて帰ってくる。
ネガティブにはネガティブが利子ついて帰り、
ポジティブにはポジティブが利子ついて帰り。
「幸せになりたい…んだけれど(どうせなれまい)」。「どうせなれまい」が利子ついて帰ってくる。
「私はダメな人間だ」。に利子がついて帰ってくる。
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人は他人のことも大事に扱おうとするようになるんじゃないかなあ、と、思うんですね。
逆に、「自分はどうも誰にも大事に扱ってもらってる気がしないよなあ」、という思いが強いと、
人は他人のことも大事に扱おうとはしないように、なるんじゃないかなと。
自分がされたことを、自分も誰かに返す。 …入ったものしか、出てこない。
しかし、どんなに大事に扱ってもらっていても、自覚がもてないと、
「扱ってもらってない」という認識にしかならない。評価にしかならない。 そう思うんです。
「大事に扱っているかどうか」よりも、「大事に扱っているという自覚に繋ぎ込めたか」、が、
最大のキーポイントだと思うんですね。 「伝わらないと、伝えたことには、ならない」。
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車窓から隣の線路に停車していた電車の窓に向かって手を振る男子生徒(小四)達。
人の良さそうなマダム(笑)がそれにお付き合いくださり、手を振り替えして下さり。
自分がとったアクションにリアクションがあった事に、嬉しいなぁと、彼ら大喜び。
味を占めて、次の停車駅でも、急行待ちの普通電車の乗客のお姉様3人組に手を振り。
こちらは更に、写真まで撮ってくれたのだとか。
更に更に大喜び。
「おお〜、俺ら、有名人になったで〜!!」
ぶふっ、そう来ますか。(^_^;) …どっちかというと珍獣フォトだと思うけど…
純朴だなあ。人を疑うことを知らん最後の年頃かもしれない。
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彼は、「何もしてないのに、あいつはいつも急に蹴ったり叩いたりしてくるんだ」といって怒りを語り。
で、まあそこはそのままおざなりに慰めて、終わったんですけれども…。
そしたら今日、その追われてた側の子が、私の傍にやって来ていたもので、
「昨日、〇くんが“いっつもちょっかい出してくる”って嘆いてたよ、大概にしてやらんとイカンよ」
みたいなことを言ってみたところ、周りにいた子も含め、それについてのコメントが帰ってきました。
「ああ、アイツはいっつも、普通に通った時にちょっと触れただけでも、“叩いてきた!”って、
そんなことばっかり言うから。(そのため少々腹が立っている)」
…ああ成る程。双方にそれぞれ思いは有るもので。
もう一つ添えてみるとこの二人、互いにクラスではいじられタイプ。
いやぁ…男の世界だねぇ。(意味不明)
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今回、受診先で頂いたリレンザ、大変よく効きまして、その後は「咳は出ているけど本人は至って元気」という調子で、言い渡された自宅待機時間も、ついに終え。 隔離(別室でずっと一人過ごしていました)にも退屈にもよく耐え、お陰さまで家族にも移らずに済んだ様子で、ありがたいことです。
…でも、みんなすっかり「手洗い」のし過ぎで手荒れ気味に…。(-_-;)
しかし、そこまでして必死で体調管理に励んでいたのに…。 修学旅行を控えていた上の子、学級閉鎖のクラスが出…延期に…。宿を押さえるのは1年前からだという話なのに…、行けるのでしょうか…。 …っていうか、そういう学校、きっと日本中で沢山なのでしょうね。どちら様も、きっと良いように運びますように。
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私が日頃手にする育児書やら教育書などでも、今やどれもが「子ども」又は「こども」と書かれています。それは本当に顕著に感じる程で、私は発行元のほうで「そうするように」の指示が出ているのかなと思ったりしているんですけどね。(他所から突っ込まれるのも面倒だし…みたいな?)
「子ども」と共に仮名混じりの混ぜ書き表記が多い字が、「障がい」。
これに対してその記事は、「仕事」を「し事」、「乙女」を「おと女」としてしまったとき、
それは最早、漢字として既に用を成していない…と。(一発理解が出来ない不便なもの)
先に言っておくと、私は私の文章の中で一度も混ぜ書きにしたことはないんです。実は。
本の紹介でその本のタイトルがそうだから「子ども」とタイプすることはあっても、それ以外では、
いつでも漢字表記を通しているつもりです。
記事では、【混ぜ文字にすることで、問題の本質に“目隠しをする”“見て見ぬふりをするのに都合のいい”ところに、問題をうっちゃって誤魔化してることじゃないの?】 的に表現されていましたが、同感です。
私の思う「障害者」という言葉に使われている障害という語は、「その者が現社会に“飛び越えろ”と強いられる障害の多さ」に対して、「社会よ改めよ」という、問題提起の語であり、
「子供」の供は、私が最初に聞いた話では(人は最初に入った情報をまず基盤にするという脳の仕組みがある)、“にんべんに共…人と共にいる者=神の意があり、我々と共に居てくれる神の使い”的、うやうやしさすら含む語であり。
「お供え」(添え物)、あるいは「害を及ぼす人」みたいなものを連想し、人権面から現在そんな流れになっているようですが… まあ、人それぞれですからそれについては何とも…ですが、私に限って言えば、出版の流れで致し方なく…という以外は(そんなの無いけど(-_-;))、なので混ぜ書きは、使いません。
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